君は悪魔か少女になって

来世は高校球児になりたいOLの日記

愛される勇気が欲しい話

サボりすぎて存在を忘れかけていたこのブログですが、更新を楽しみにしているコア読者から定期的にリマインドをもらうので、そういえば言語化したいことが色々溜まってきたなあとも思っていたし、てきとうに思ったことを無責任に書きたいと思います。

 

そもそも私がこのブログを始めたきっかけは、ひとつの恋を終わらせるためだった(と当時の日記に書いてあったので多分そうなんだと思う。忘れたけど)。

 

当時社会人3年目くらいで恋に仕事に何かと一生懸命に生きていた私は、好きだった人に、好きだと言われても、簡単に「うん」とは言わない人間だった。

 

めんどくさいことに、その選択をすることによって相手の人生はどう変化し、周囲にどんな影響を与え、誰がどう感じ、私の未来はどう変わるのか、親はどう思うのか、気になって気になって、簡単に現状を変えれない人間だったんですよね。

私自身がどう思うのかは、そこにはあまり介在の余地がなかった。

 

そういえば親が持ってきた九州ではかなり大きな会社の社長長男との縁談にも「うん」といえず、父をとんでもない僻地へ出向させてしまうという果てしない迷惑をかけたこともあった(この話は父と笑って話せるようになったら書こうと思います。おもろいので)

超金持ちになれるチャンスだったのに。もったいないことしたよね。

 

そんな調子だから、チャンスを逃しに逃し、好きだと言ってくれた人の手を掴めずに、気づいたらもう手が届かないところに行っていた・・ということが、私の人生では幾度となくあった。

愛されることが怖かったのかもしれないし、相手の愛情にまっすぐに応えられる自信もなかったのかなあと思っている。

 

どちらにせよ意味不明な理由で「俺のこと好きだけど付き合えないってなに?」となってしまう被害者が発生するたびに私の友人は

 

「悪いことは言わんから、アカネから早く逃げてって思う」

と言っていて、私も「いや、確かにそうなんだけどひどくない?」って笑いながら、毎日安いワインを飲んで私の話を聞いてもらっていた。

 

閑話休題

 

 

そうして、ひとつの恋が終わった時に私の思考回路と原因を分析したくこのブログを作ったはずなのに、ボリスジョンソン首相の生い立ちについて考えたり、バチェロレッテの胸中を察して一緒に心を痛めたり、コロナ禍でマスクの質について分析したりしていたら完全に当初の目的を失ったし、なんなら転職したり、上京したり、駅で転げ落ちて靭帯損傷したり、酒の飲み過ぎで財布と携帯を渋谷で紛失したりしているうちに、いつのまにかその恋心はちゃんと私の心に優しく息づく思い出のひとつになっていた。

 

結局、失恋の傷心を癒すのは「時間」のみ。

アラサーはそう思います。

 

 

まあ、なんでこんなめんどくさい人間なんだろう?と思うことは昔から多々あり、人間関係が100か0かになってしまうのは、今になっても変わんない。

人との距離感のバグを起こしがちなのは多分愛着障害からきてそうと友達にいわれ、すんごい!私のこと私よりわかってる!天才!と思いました。

試しに関連本読んでみたら、おぉなるほど確かに私のことっぽいな〜と思いました。

 

愛着障害にも色々あるみたい

 

私は親と仲良くないけど、幸いなことに大学まで奨学金もなく私立に行かせてもらったし、もちろん虐待やネグレクトも受けず、大好きなバレエも大人になるまでやらせてもらったし、大切に育ててもらったと思っているので、どこで愛着障害になったのかなあと思っていたのだけど、この本を読んでなるほどと思ったのは、「親が共感してくれる」「私の選択を後押ししてくれる」経験が圧倒的にないということですね。

 

父が厳しい人だったので、私が思い通りに育ってないと感じると、私の生活に厳しい制限をかけ、私の考えを聞くこともしてくれなかったので、私の人生において何を感じ、本当は私は何をしたいかに正直に目を向けたり、きちんと言葉にする機会もなく、大人になってしまったんだろうなあと思う。

受験や、バレエや、学校での人間関係の問題などにおいて、両親はあまり私の味方になってくれなかったのが、ちょっと寂しかったのかな。

 

親になることがあったら気をつけたいね。

 

まあ私はかなりの不良だったので、小6の時に両親が学校から呼び出され退学処分になりかけたり、勉強できなすぎるのに一生バレエにいそしんで受験勉強サボったり、親の手から逃げたくて定期的に家出したり、模試受けずに彼氏と花火大会行くような手のかかる自由な次女だったから、手を焼いてたんだろうなあとは思う。

両親、その節はすまん。お陰でまともな大人になれました。

 

本当に誰も悪くないし、大人になった今私は「親も人間なんだなあ」と思えるようになったし、父もまた私を一人の人間として接してくれるようになったので、あっけなくちゃんとコミュニケーションが取れるようになったしね。

 

だからこそこれからはこの性格とちゃんと向き合って、自分のやりたいことや考えをまずは自分自身が認めて、自分を愛して生きていこうと思う。

 

東京に来てよかったね、私よ。

少しずついい大人になれそうです。

 

当時とは環境も周りの人も違うけど、いつまでも恋愛への向き合い方が変わらなすぎて困っちゃう。困っちゃうけど、これが私だから、今夜も淡麗グリーンラベルを飲んで、ネイルをきれいにして、ちょっといいフェイスパックしちゃったりして、自分をぎゅっと抱きしめて寝ようと思います。

 

明日も仕事頑張ろう!